浄土真宗の教え

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念仏「南無阿弥陀仏」と聞法

浄土真宗は、鎌倉時代、親鸞聖人(しんらんしょうにん)が顕された「浄土の真実」を受け継ぎ伝えて行きたいという願いにより興った仏教宗派です。「南無阿弥陀仏」とただ“念仏”申すこと、そして仏法を聴聞する“聞法(もんぽう)”を基として、世俗の迷信や習俗にとらわれることなく念仏者として独立者となる歩みを受け継がれてきました。

念仏することで、
真実との対話がはじまります

念仏で称える「南無阿弥陀仏」とは何なのでしょうか。
「南無阿弥陀仏」は、インドの言葉であるサンスクリット語を漢字で音写したものです。「南無」はnamas「帰依」を意味し、「阿弥陀」amita-を合わせ「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀に帰依する」と訳されることになります。

阿弥陀如来は、無量光仏、無量寿仏ともいわれ、その二つの仏名である「アミターバ(量り無き光明amitābha)」と「アミターユス(量り無きの寿命, amitāyus)」に共通するアミタ(無量amita-)を音写したものです。
阿弥陀とは「量り無き光」量ることのできないほどにあふれる光、「量り無き寿(いのち)」量ることのできない尊い寿(いのち)。

「量り無き光」「量り無き寿(いのち)」そのものである阿弥陀如来は、空間や時間の制限を受けません。「南無阿弥陀仏」と呼びかけることで、阿弥陀如来は空間と時間を越え、真実の願いそのもののはたらきとなって私の前にましまします。

浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来が立ち上がり、来迎印を結ばれているそのお姿は、生まれ変わり、死に変わりしても悩み苦しむ私たちを救わんがために立ち上がられたお姿であり、かぎりない智慧と慈悲を表しています。

「光」とは「今」
自分自身の光、今に目覚めます

「光」には色も形もありません。物理学などでは、「光」の走る速度、光速において、時間の軸を越えることができるといわれています。過去が未来になり、未来が今になります。人は、「南無阿弥陀仏」と念仏申すとき、生きている現在と、これまでの過去、これからの未来、それらすべての時間を内包した「今」を生きる者となるのです。

「南無阿弥陀仏」=「阿弥陀に帰依します」と申すことは、自分自身を「今」に合わせ整えることになります。過去への後悔、未来への不安に心経巡り、いつも今を生きていない私が、「量り無き光」に出遇ってゼロに立ち返り、「量り無き寿(いのち)」である自分自身の本来の願いに立ち帰り、比較することのできない「今」を積み重ねて生きていくことになります。

日々の生活の中、どんな場面でもいいのです。「南無阿弥陀仏」と称えます。それは私たちの軸を「今」にもどします。自分の内にある「光」と出遇い「今」に生きるとき、人は自分自身に脈する、ほんとうの願いと出遇います。

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仏法は、日々の生活を
貫く縦糸です
縦糸があることによって
自身の人生を
織り上げていきます

浄土真宗は、“念仏”と同じく、“聞法(もんぽう)”仏法を聞くことを大切な基としています。当寺では、定期的に仏法公開講座を開催しております。眞敬寺の檀家であるなしを問わずご参加いただけます。光と出遇いにお越しください。

法話会

聖典のなかに織り込まれた物語を読み解き、そこにある教えをわかりやすく、親しみやすく説いていきます。
教典のなかの言葉は、称え、聞くことで真言となり、生活のなかにありながら光を感じるようになります。

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