その時、その場所に
いたからこそ感じられる光
それは、自身の今を映しだす
光になります
東京、蔵前。創建550年を迎える満照山 眞敬寺(まんしょうざん しんきょうじ)は、2018年10月 室内墓を併設した満照山 眞敬寺 蔵前陵苑として再建されました。眞敬寺が、皆さまそれぞれの奥底にある光に出遇い、寿(いのち)を体現する場となるよう願っております。
浄土真宗は、念仏「南無阿弥陀仏」を申し、法話を聞くこと(聞法)を基に受け継がれてきました。
「阿弥陀」とは「量り無き光」「量り無き寿(いのち)」を象徴しています。
「南無阿弥陀仏」と称えることで、私たちは、自身の奥底にある光に出遇い、さらには自身を越えた寿(いのち)に繋がります。
では、そもそも光とは何なのでしょうか? 寿(いのち)とは何なのでしょうか?
仏教は問いをもつことからはじまります。水面にそっと小石を投げいれるように、小さな問いかけは、私たちの中でゆっくりと輪になり広がっていきます。そこから「ほんとうの生きる」がはじまります。
自分のお墓が決まるということは
二度とない人生をいきいきと生きることにつながります。